いざ大奥へ

              
                 
                 
 〜大奥の序章〜
                 江戸城は、本丸、二丸、三丸、西丸で成り立っており、江戸城本丸御殿には正室、側室、御
                殿女中など居住空間があります。ここを、大奥といいいます。寝所、台所があり、ここで生活をし
                ます。大奥は、男性が入ることは許されておらず、大奥で事務処理を行う男性職員は大奥とは
                別棟となっていた。唯一、将軍、将軍の息子、医師は大奥の出入りを許されていた。また、大奥
                の女中の寝下がりできない九歳までの子と、兄弟、甥までなら呼ぶことが出来ました。
                 また、世界中のどの宮廷よりもはるかに多い女中の数は500〜1000人と言われていました。
                  
                 江戸城には大奥は初代徳川家康の時代から存在していた。当時は、男と女の境界線が存在
                していなかったので、家臣が奥へ訪れたり、正室や女中が表に訪れることがあった。
                 しかし、三大将軍徳川家光の乳母である、あの有名な春日局が、1618年に大奥法度を定めた
                ことにより大奥を統括したのである。                                                                                                    
                 
                  
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