いざ大奥へ
〜徳川家 大奥 年間行事〜
徳川家大奥の歴史の中での年間行事
一月 {睦月} 新年の宴
大奥では、徳川将軍が無病息災を願い、新年の宴でもあるが七草を食べることも兼ねられている。
二月 {如月} 節分
今、現在でも受け継がれている行事でもある節分は、徳川家 大奥でも行われていました。大奥歴史にも存在していた節分は、
炒り豆をまいて奥の人たちで悪霊退散や福を呼ぶことを願い豆まきが行われていました。大奥の歴史にもある節分は、現代でも
同じように願いを込めて行われているのです。
三月 {弥生} 桃の節句
徳川家大奥歴史にも存在している桃の節句は、五節句のひとつであり、現代と同じように雛人形を出し、調度品を飾り、白酒や桃
の花をお供えし祭る行儀です。大奥の奥の人たちも、現代の人たちと変わりなく桃の節句をお祝いするのです。
四月 {卯月} 花見
大奥の歴史には、日本古来のお花見がありました。徳川家将軍、大奥の側室や奥の人たちでのお花見では、吹上庭園で桜や梅
などの花見を楽しまれたようです。
五月 {皐月} 端午の節句
徳川家大奥歴史にも存在している端午の節句は、五節句のひとつであり、端午の節句は江戸時代以降、男子の節句として武家で
冑、幟を飾ったのに伴い、町人も鯉幟を立てるようになった。また、今でも行われている菖蒲湯も大奥でもしていたようです。大奥の奥では
柏餅も食したようです。
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